古今趣味集 又は 興好見聞録

映画などを中心に浅い知識の様々な趣味、たまに私の日常。
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工藤公康

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1981年のドラフトで西武に指名され、複数球団渡り歩いた後2010年、最終登板は西武という数奇で趣深い選手生命を過ごした投手です。最後まで現役に拘り続けていました。

彼を初めて見たのはまだ「名古屋電気高校」と呼ばれていた時の甲子園での活躍。白地の上下ユニフォームに紫色の漢字で高校名が書かれていたかな。このように幼少の私は高校野球が大好きでした。彼は既に完成されたピッチングフォームでその優雅で美しいスタイルは晩年も変わる事はありませんでした。しなやかな左腕は鞭の様にしなり対角線上に振り下ろされる。ストレートは伸びやかで、カーブはRの小さい弧を描く。超高校級の選手でした。

81年に西武に入団した彼は直ぐ1軍で活躍出来るだろうと思ってました。何故なら、当時の西武は発足してから間もない新参者の球団でしたし、現在の楽天に近く金で選手は集めてくるが、今一つ優勝へのモチベーションが足りないチームでした。これなら、彼の様な高卒ルーキーにもチャンスがあるし、それだけの通用する力もあるハズ。
しかし、堤オーナーが丁度この年に広岡を監督として迎えたると、ペナントレースで工藤の名前を聞くことは終ぞ有りませんでした。そして、西武がパリーグを制し、セリーグを130試合目でドラマチックに優勝を決めた野武士野球の近藤ドラゴンズと日本シリーズで相対する事となりました。そこで漸くその年の工藤の雄姿を見ることが出来たのです。中継ぎとして…「あっ、工藤だ。」と嬉しくなり独り言を言った思い出があります。第何戦かまでは覚えてませんが、脳裏に焼き付いた美しいフォームはプロに入っても直される事無く、高校当時のままでした。我がチームのバッターは全く打てませんでした。

その後、工藤とドラゴンズの私個人の私怨は2度ありました。FAです。ドラゴンズが交渉に参加したにも関わらず、「ダイエー」「巨人」の噛ませ犬として扱われたという嫌な思い出しか残っていません。
ベティのトレーナーにセカンドバックという組み合わせのファッションもダサいです。まだまだ、彼の嫌になる思い出は沢山あります。しかし、投手としては認めざるを得ません。大好きです。






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[ 2013/02/05 22:59 ] スポーツ | TB(0) | CM(0)
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てむてむ

Author:てむてむ
映画などを中心に浅い知識の多様な趣味、というより興味を持っています。間違った知識もあろうかと…。

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